【M&A】「中小M&Aガイドライン第3版」に思うこと ~実務家としての視点から ~

事業再生の実務家としては、M&Aは「手段」です。しかも「重要な手段」です。そのような観点から、中小企業庁に「中小M&A支援機関」として同庁に登録しており、実務は同庁が定める「中小M&Aガイドライン」に沿ったものとなっています。

中小企業庁から 「中小M&Aガイドライン」の第3版が発表されました。M&Aへの関心の高まりから プレーヤーが乱立し、トラブルが急増している現状を受け、政府がこのガイドラインを改訂したものです。私は実務家として日々の業務に携わっていますが、この第3版には「非常に細かい報告」と「実務内容の厳格さ」が際立っており、実務上の負担が大きく 増加していると感じています。

本稿では、「中小M&Aガイドライン第3版」の内容とその課題について、現場で働く 実務家としての視点から 考察してみたいと思います。

 

1.中小M&Aガイドライン改訂の背景

中小企業のオーナー経営者の高齢化に伴い、事業承継としてのM&Aの重要性は年々増しています。政府も「第三者承継」を推進する政策を積極的に展開し、令和3年には「中小M&A推進計画」を策定しました。また、M&A支援機関登録制度を創設するなど、業界の健全化に取り組んでいます。

このような中、中小M&A市場の拡大に伴い、仲介事業者やFAなどのプレーヤーが急増しました。中小企業庁の報告では、M&A支援機関の登録数は令和6年9月時点で2800件を超えています。しかし、同時に問題のある業者も参入し、買い手と売り手の情報格差を悪用した不適切な事例や、高額な手数料請求、説明不足によるトラブルも頻発しています。

特に昨年末から 今年にかけて、「ルシアンホールディングス」関連のM&A案件において、複数の仲介業者も関わる形で10社以上の中小企業がトラブルを訴え、警察の捜査が進めら れているとの報道もあります。こうした社会問題化したトラブルの発生を背景に、第3版が令和6年8月に改訂されたのです。

 

2.第3版の主な変更点と実務への影響

第3版では、以下の点が主に強化されています。

①「中立性」規律の強化:仲介業者等に「どちら 側にもアドバイスできる(中立)」ことの説明責任がより具体的に求められるようになりました。これにより、「どのように中立性を担保しているか」を書面で説明し、記録として残さなければなりません。

②「利益相反管理」義務の明文化:双方代理(いわゆる仲介)時に利益相反に関する情報を的確に伝達し、相手側に不利益を及ぼす行為を防止する義務が設定されました。具体的には、追加手数料を支払う者やリピーターへの優遇(当事者のニーズに反したマッチングの優先実施、譲渡額の誘導等)の禁止が明記されています。

③デュー‧デリジェンスや契約実務についての留意点整理:詳細な実務プロセスや留意点、適切な助言やチェック体制構築などより具体的な責任分担、リスク管理規定が加筆されました。各場面ごとの問題事例提示、不適切行為の具体例やトラブル防止策が列挙されており、それらへの対応が求められています。

④M&A支援機関登録制度との整合:登録制度との適合性を強調し、「中小M&Aガイドライン遵守」が登録‧認定の要件となることが明記されました。

これらの変更は一見すると「当然のこと」に思えるかもしれませんが、実際の業務においては膨大な事務作業の追加を意味しています。例えば「重要説明事項」は書面(電子データ含む)で説明‧記録することが事実上義務化され、説明責任書類の保存‧管理が求められます。 また利益相反‧中立性説明責任のための体制整備、内部チェック体制の強化、紛争時の証拠保全義務なども追加されています。

さらに、第3版では特に「書面化」「説明義務」強化が随所に明記されており、M&A支援機関登録状況や利益開示の定期的提出など、事実上の書面‧業務量が大幅に増加しています。これらは中小M&Aの現場で、実務家の負担を確実に増やすものとなっています。

 

3.業界倫理観の是正の重要性

「なんでもあり」「やったもの勝ち 」のプレーヤーのせいで、誠実にM&Aに向き合ってきたプレーヤーが割を食うのは解せないというのが、多く の誠実な実務家の本音ではないでしょうか。実際に、M&A市場の拡大と共に、様々な背景を持つプレーヤーが参入し、一部には短期的な利益だけを追求する事業者も現れています。

しかし、問題は倫理観の欠如したプレーヤーの存在であって、それを理由に業界全体に過度な規制を課すことが適切な解決策かどうかは議論の余地があります。第3版のガイドラインは、確かに悪質なプレーヤーへの対策として有効かもしれませんが、同時に真摯に業務に取り組む実務家にとっては過剰な負担となる可能性もあります。

「中小M&A推進計画」の目的は、後継者不足の中小企業の事業継続と雇用維持、そして経済活力の維持にあるはずです。その目的を実現するための手段であるM&A市場の健全化と、実務家への負担のバランスを、どう取るべきでしょうか。

業界倫理観の是正に必要なのは、過度な規制ではなく、適切な市場メカニズムの構築と、悪質なプレーヤーを市場から 排除する仕組みではないかと考えます。そのためには、情報の非対称性を解消し、中小企業経営者がM&Aのプロセスや適正な価格、支援機関の選定基準などについて十分な知識を持つことも重要です。

 

4.公的資格制度の導入検討について

現在、中小企業庁は中小企業のM&A(合併‧買収)を手掛けるアドバイザー資格を2026年度にも創設する方向で検討を進めています。この資格制度では仲介者に財務や法務の知識と実務能力が求められることになるでしょう。

この検討自体は、業界の質を高める方向性として理解できます。しかし、自由な経済活動に行政が過度に関与することへの懸念もあります。規制が厳しくなりすぎると、中小企業にとってM&Aの選択肢が狭まり、むしろ事業承継の機会が失われるリスクもあるのです。

最も重要なのは、実務家と規制のバランスです。公的資格制度が導入されるとしても、それは市場の健全化と中小企業の事業継続という本来の目的に資するものでなければなりません。実務家の創意工夫や柔軟性を阻害するような過度な規制は避けるべきでしょう。

また、資格制度を導入するのであれば、同時に業界の自主規制や倫理基準の確立も進める必要があります。行政による外部規制だけでなく、業界内部から の改革も重要なのです。例えば、業界団体による倫理規範の策定や、優良事例の共有、継続的な教育研修制度の確立などが考えられます。

 

5.まとめ:M&A実務家として今後目指すべき方向性

中小M&Aガイドライン第3版は、確かに実務家への負担を増加させるものですが、その背景にある目的—中小企業の円滑な事業承継と雇用維持—は支持すべきものです。私たちM&A実務家は、この変化を単なる負担増として捉えるのではなく、業界全体の信頼性向上のための過程として前向きに受け止める姿勢も必要でしょう。

今後、M&A実務家として目指すべき方向性は、単にガイドラインの形式的な遵守にとどまらず、その精神を理解し実践することにあります。すなわち、売り手‧買い手双方の利益を最大化し、日本経済全体の活性化に貢献するという本来の役割を果たすことです。

最終的に、M&A実務家の価値は、複雑化する規制環境の中でも、クライアントにとって最適な解決策を提供できる専門性と倫理観にあります。ガイドラインの改訂を機に、私たち実務家自身も自らの業務の質を見直し、さらなる向上を目指すことが、結果的には業界全体の健全な発展につながるのではないでしょうか。

公的資格制度の導入が検討される中、私たち実務家は受け身の姿勢ではなく、業界の自主規制や倫理基準の確立に積極的に関与し、行政と協力しながら 、中小企業のM&Aが真に経済活性化に貢献する環境を作っていくことが求められています。

以上